home *** CD-ROM | disk | FTP | other *** search
-
- %CUT:+-68CULT1.CUT
- %CUT
- %CUT
- %CUT
- %CUT
- %CUT
-
- 中野 修一
- ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
-
- さてさて、今回のお題は %CUT:+-68CULT2.CUT
- %CUT
- 「X68000 文化」だ。 %CUT
- %CUT
- %CUT
- いまさら考えるまでもな %CUT
- %CUT
- く X68000 は現在主流のパ %CUT
- %CUT
- ソコンとはちょっと違った %CUT
- %CUT
- パソコンだったし、使って %CUT
- %CUT
- いるユーザーもちょっと違っ%CUT
- %CUT
- ていた。作られるソフトも イラスト:和田八汐
-
- ちょっと毛色が違うものが多い。
-
-
- 現在の Windows 文化ったって、国内じゃ基本はそれまでの PC-9801
-
- と同じ根を持つものにすぎないし、多少マニアックな DOS/V 機ユーザ
-
- ーでも私にいわせれば甘ちゃん揃いだ。PC-9801 の世界ではバッチファ
-
- イルの作れる人がパワーユーザーと呼ばれ、DOS/V マシンや Macintosh
-
- の世界ではお金持ちがパワーユーザーと呼ばれる。そもそもの考え方か
-
- らしてまったく違う。このように、なにからなにまで世の中の趨勢とは
-
- 異なる。これを外の人から見ると異質な文化として感じられることだろ
-
- う。
-
-
- いまこれを読んでいるような人に、いまさら「X68000 文化とは」と
-
- 切り出すのもちょっとおかしいのかもしれない。
-
-
- しかし、私個人としては、X68000 文化というものは基本的になかっ
-
- たと考えている。なにもかも含めてそれが X68000 文化だといってし
-
- まえばそれまでだが、X68000 というハードウェアに起因するもの、す
-
- なわち結構多くの人が考えている「X68000 だったから」というような
-
- ものではなかったと考えている。
-
-
- ・X68000 が存在しなかったら、そういう文化は存在しなかっ
- たのだろうか?
-
- ・X68000 というハードウェアさえあれば、あのようなムーブ
- メントは発生したのだろうか?
-
-
- このような質問に、両方とも否と答えるところから話を始めたいと思
-
- う。
-
-
-
- ●Born To Fly - ハードウェア的な背景
-
- シャープの広告というのが嫌いだった。新しいコピーが出るたびにそ
-
- れを皮肉っていたような気もする。X68000 の広告コピーはそれなりに
-
- 力の入ったものであったし、言葉遣いなどは私の感性に近い部分もあっ
-
- た。まるで、Oh!X を間違った読み方をしている人が書いているような
-
- ……。煽り方は似ているのだが、主張する内容がまるっきり異なってい
-
- るのだ。基本ハード/ソフトに関する過信というか誤解が結構多くのユ
-
- ーザーにも広がっていたような気がする。
-
-
- X68000 の特徴として目立っていたのは、65536色のグラフィック機能
-
- であり、ゲーム機並みのスプライトであり、音源機能であった。
-
-
- だから X68000 はよく誤解された。ハードウェア的な優位性だけに目
-
- を奪われて本質が見えていない人のなんと多かったことか。ソフトハウ
-
- スの人の大半はゲーム機としてしか捉えていなかったし、ゲームやグラ
-
- フィック機能目当てで買った人は失望した人も多かったかもしれない。
-
- ゲーム機はどんどん進化したし、グラフィックなどは他機種のほうが高
-
- 度になってきたからだ。
-
-
- ここで考えてみよう。
-
-
- こういったハード的な優位性ゆえに X68000 の文化は花開いたのだろ
-
- うか? 私の答は Yes でもあり No でもある。単に機能を備えている
-
- だけでよいのであれば、現在のマルチメディアマシンでどうして同じよ
-
- うなムーブメントが起きていないのか説明できないだろう。問題は機能
-
- を備えているということではなくて、機能が解放されているというとこ
-
- ろにある。Windows や Macintosh の API が解放されているのとは次元
-
- が違う。なぜか? ハードウェアの機能以前の問題として、ハードウェ
-
- アを解放する動きがあったからだ。これはハードウェアではなくて人の
-
- 問題である。結局は文化を生み出すのはあくまでも人の力によるもので、
-
- ハードウェアはたまたま媒体になったにすぎない。X68000 がなくても、
-
- そういった志さえあれば同じような動きは出てきていたはずなのだ。だ
-
- から、私は X68000のハードゆえの文化を否定する。
-
-
- X68000 で花開いたものは世間一般でいうパソコンの文化ではない。
-
- どちらかといえばマイコンの文化だ。X68000 ではハードウェアへのア
-
- クセスもたやすい。Human68k は使いやすい OS だ。マニュアルなども
-
- ちゃんと読むに値するできになっている。現在存在する「パソコン」は
-
- そのようなところをユーザーに見せる必要などかけらも感じていない。
-
- 操作性はアプリレベルの問題だから、OS 関係は劣悪なまま放置されて
-
- いたし、ハードウェアは隠蔽され、ユーザーの目からいかに隠すかが問
-
- 題とされた。
-
-
- 内部の泥臭い部分をいかに感じさせないで使えるかが上品なパソコン
-
- のあり方で、パソコンが普及していくためには絶対欠かすべからざる課
-
- 題とされていた。それ自体は悪いことではない。それで済めば綺麗な思
-
- 想である。しかし、うるさい人を納得させるには中身を見せる代わりの
-
- ものが必要なわけだが、そのあたりが弱い。てんでなってない。このあ
-
- たりがパソコンとワークステーションの違いの一端かもしれない。それ
-
- 以外でもお題目と現実のギャップはどうしようもない。Plug&Play は
-
- 美しい、ちゃんと動きさえすれば。DirectDraw はゲームを変えるだろ
-
- う、Windows のビットマップ転送よりも速く描画できるようになれば。
-
- Macintosh は仕事に使えるマシンである、暴走しなければ。
-
-
- そういったお上品な価値観は、逆にいえば、中身を見せられない事情
-
- というのがあるわけではないかとも疑うわけだ。最近 Windows の構造
-
- を勉強していくに従って、私はインテルの技術者にいささか同情的であ
-
- る。確かに綺麗な CPU じゃないけど、あそこまでひどい使い方をしな
-
- くてもよさそうなものだ。Macintosh もハードについては相当ひどい。
-
- 68000 をスーパーバイザのみで動かしたり、PowerMac が当初32ビッ
-
- トバスで作られていたというのを聞いたときにはさすがに耳を疑った。
-
-
- 彼らにはプロセッサの声が聞こえていない。
-
-
- *
-
-
- かつて、CPU 自体を操ってプログラムやハードウェアを組んでいた
-
- 「マイコン」の時代、人はプロセッサと共にあった。そういう指向を持っ
-
- た人にとって最悪のプロセッサが世を席巻するに至り、多くの人はもは
-
- や「パソコン」=MS+インテル体制を倦んでいた(Macintosh はパソ
-
- コンではないがマイコンでもない)。
-
-
- そこに登場したのがマイコンにとっての夢をすべて備えたような
-
- X68000 だった。マイコンでは望んでも得られなかった数々の機能、当
-
- 然のようにノーウエイトのメモリ、それまでの常識をあっさり覆した画
-
- 面構成、それらがシステム周りだけで40近い数の割り込みで駆動され
-
- る。そう、まずはハードウェアに驚かされた。それは確かだ。もっと重
-
- 要なのは、なによりそれが作られたという事実である。その時期でさえ、
-
- そんなメインストリームから離れたマシンを出すということは常識を超
-
- えた冒険でもあったのだ。
-
-
- そんなマシンがほしいと思っていたユーザーとそんなマシンを作りた
-
- いというメーカーの心とが確かにひとつになっていた(完全にとはいわ
-
- ないが)。
-
-
- 灰色のイメージに染まった「パソコン」ではない「パーソナルワーク
-
- ステーション」という二つ名はまさにふさわしいものであったと思う。
-
- 「パソコン」ではない「ワークステーション」でもない。日本の
-
- Macintosh と呼ぶ人もいたが、どう考えても Macintosh とは対極にあ
-
- るマシンである。これに比べれば、Macintosh と PC-9801 は似た者同
-
- 士とさえ思えたほどだ(実際、GUIベースかどうかの差にすぎない気も
-
- する)。
-
-
- やがて、Macintosh や Windows マシンのほうがハードウェアの機能
-
- の大部分で X68000 よりも進化していく。しかし、そこに X68000 のよ
-
- うなムーブメントは起こっただろうか? 単にグラフィックやサウンド
-
- といった機能だけが問題ではなかったことは、すでに PC88VA や FM
-
- TOWNS が証明していることなのだ。
-
-
-
- ●メーカーの影響
-
- 先ほども述べたが、文化を作るのはあくまでも人である。ハードウェ
-
- ア自体はきっかけにすぎないのだ。
-
-
- では、かのごとく我々の理想を具現化したマシンを作り出したメーカ
-
- ーの人たちの意志はどの程度 X68000 文化に影響を与えているのだろう。
-
- これを考えるには、X68000 とはなんだったのかをもう一度洗い直す必
-
- 要がある。
-
-
- さて、生み出されたときは輝かしい姿だったわけだが、いまに至るま
-
- で謎なのが、その後の開発状況である。これだけ先進のマシンを開発し
-
- ておきながら、以後何年にもわたり、ひたすら低価格版だけを作り続け
-
- てきた。その後生み出された XVI も X68030 も悪いマシンではないが、
-
- そのときに求められていたものではなかった。
-
-
- ユーザーの理想と開発者の理想がどうして離れてしまったのだろうか。
-
- 本論からは外れるが、いくつか仮説を立てながら少し考えてみたい。
-
-
- いろいろ検証してみると誕生自体がすでに歪んでいたといわざるをえ
-
- ないところもある。そのハードおよびソフトにはかなり開発費もかかっ
-
- たと思われるし、価格設定も当時としては驚異的だった。それを回収す
-
- るためにはターゲット層として見ると、広く家庭に入らなければならな
-
- いことは明白だっただろう。マニア層だけではさほど金にならない。一
-
- 般家庭に普及させるために必要とされたのが価格面での改善であろう。
-
- 少なくともその後しばらくの間メーカーでは性能的な問題はないと信じ
-
- ていたものと思われる。問題は価格だけだ。
-
-
- 1年後 ACE シリーズが発表される。栃木まで取材に行った Oh!X の
-
- 編集者は鳥居氏と半ば大喧嘩して帰ってきたという。低価格にしたのも
-
- ハードディスクを載せたのもよいのだが、メモリが1Mバイトに据え置
-
- かれたことでソフトウェア的な展開が非常に制限されたものになった。
-
- そもそも1Mバイトでは、ハードディスクを搭載していると、当時標準
-
- シェルだったビジュアルシェルから当時唯一の実用になるソフトだった
-
- WP.X が起動できない。
-
-
- 実質上2Mバイト以上でないと快適に使用できなかったにもかかわら
-
- ず、ソフトはメモリ1Mバイトを基準に制作せざるをえなかった。この
-
- ことが実質的にソフトの質にどれだけの影響を与えたのかは残念ながら
-
- 検証できない。先進のハードを持って生まれたのは確かだが、当時すで
-
- にメモリの問題も CPU 速度の問題も十分に予見できる状況にあった。
-
- 当時出回っていた i286 というのはかなり高速な CPU だったのだ。で
-
- あれば 68000 というプロセッサの持ち味を十分引き出すことが最善の
-
- 策であったはず。広くリニアなメモリ空間は最大の武器だった。このあ
-
- たりがメーカーのユーザー感覚との乖離を最初に感じさせた出来事だっ
-
- たかもしれない。
-
-
- さらに1年がたち EXPERT と PRO が作られる。EXPERT は2Mバイト
-
- に拡張され過不足なく動くロングセラーモデルだが、ビジネスチャネル
-
- に出すにはツインタワーでは都合が悪い、さらに基板が多いと低価格化
-
- できないということで作られたのが PRO だったらしい。
-
-
- 部品の共用化とか考えずに作っているところが商売が下手という気も
-
- するが、これはその後も変わらない。16MHz機の XVI は予定を1年遅れ
-
- て投入される。さらに5インチドライブを使っていると低価格化に限界
-
- があるとして 3.5インチFDD搭載の CompactXVI が発売される。Compact
-
- の失敗など、ユーザーの目から見れば出す前から「自明」であったのだ
-
- が、なぜかもはやメーカーは同じ感覚を共有できなくなっていた。この
-
- あとの展開は挙げるまでもあるまい。
-
-
- こう見るとシャープの主たる基本開発方針はやはり低価格化だったの
-
- だが、ご承知のとおり、X68000 シリーズで幾許かの成功を収めたのは
-
- すべて高機能化されたマシンたちであった。
-
-
- X68000 の市場撤退が決まった頃、新聞でシャープのお偉いさんの談
-
- 話が出ていたが、曰く「技術屋が自己満足で作っていたから失敗した」
-
- のようなことが書かれてあった。半分は正しいが半分はまったく間違っ
-
- た意見だ。市場を見ていないという意味では正しいのだが、もっと自己
-
- 満足に撤していれば失敗はしていなかったのではないかとも思うのだ。
-
-
- ここで最初の疑問に立ち戻ろう。
-
-
- なぜ ACE 以降のマシンはかくも保守的であったのだろうか。保守的
-
- であること、互換性を重視することは無論悪いことではない。ただ、世
-
- 間一般でいう程度の互換性を保ちつつ性能アップすることは不可能では
-
- なかったと思うのだ。しかし、そういう方面が検討された気配はまった
-
- くない。もちろん私だって、シャープが互換性をなくす中途半端な機能
-
- アップを嫌っていたことはよく知っているし、理由もよくわかる。ただ
-
- でさえソフトの供給先が少ないのに、2種類のターゲット用に開発をし
-
- なければならないというのではますます門戸を狭くしてしまうおそれが
-
- ある。
-
-
- 本当はいろいろ実験もやりたかったのかもしれないが(善意に解釈す
-
- れば)、メーカーという立場ではうかつなことはできなくなってしまっ
-
- たというのもあるだろう。X68000 が誕生し、アーキテクチャが固定さ
-
- れてしまったがゆえに、なにも手が出せなくなってしまったともいえる
-
- だろう。高性能を求めたゆえに拡張性がない。彼らは自分の首を絞めて
-
- いたのかもしれない。
-
-
- とはいえ、X68000 も発売以来まったく変わっていないわけではなかっ
-
- た。まず、HDD インタフェイスがちゃんとした SCSI になり、CPU がク
-
- ロックアップされ、VGA モードが追加され、最後に32ビット化された。
-
- つまり改良しないというわけではなく、CPU 以外には改良の必要を感じ
-
- ていなかったというほうが正しいだろう。妥当なセンではある。
-
-
- 問題はどうして32ビット化がこれほど遅れたのか、そして32ビッ
-
- ト化自体も決して積極的には行われなかったのはなぜかというところに
-
- ある。32ビット化は唯一おおっぴらに大改革できる機会であったのに。
-
-
- X68030 ははっきりいって単に高速な X68000 である。
-
-
- 現在では、X68000 という名前は伊達ではなく、68000 という CPU に
-
- 対して完全に最適化されたアーキテクチャを持ったマシンだということ
-
- は広く知られている。つまり32ビット化についてまったく考慮されて
-
- いなかったのが最大の欠陥である。すなわち、綺麗な方法でメモり空間
-
- や I/O 空間を広げることが非常に難しい。シャープ側がいつその事実
-
- に気づいたのかはよくわからないのだが、その時点で X68000 アーキテ
-
- クチャの改良という方向への意欲がまったくなくなってしまったのでは
-
- ないかとも推測される。
-
-
- わからない人のために補足しておくと、X68000 は 68000 のアドレス
-
- 空間16Mバイト分をフルに使った設計がされている。たとえばグラフィッ
-
- クをフルカラー化しようとしても RAM の置き場がない。ゆえに大きな
-
- 拡張はすでにできない。メインメモリも12Mバイトまでで限界である。
-
- CPU が32ビット化されればアドレス空間は4GBに広がるので十分な
-
- 拡張余地があるはずだった。が、Human68k では CPU が32ビット化さ
-
- れても簡単にはメモリ拡張をできない事情があったのだ。ひとつには、
-
- 16Mバイトのメモリ空間の上下がつながるようなアクセスをしていた
-
- こと。$FFFFF0 から相対アクセスで $000000 をアクセスするような感
-
- じだ。まあ、これは4GBの空間のうち32MBを殺すだけで解決はで
-
- きる。次に、68000 で有効なアドレスは24ビット幅だが、アドレスレ
-
- ジスタは32ビット幅あった。で、未使用のはずの上位8ビットがすで
-
- に使用されていたので、CPU が32ビットだろうがなんだろうが、その
-
- 8ビット分を有効にすると確実に大半のソフトが動かなくなってしまう
-
- ということだった。
-
-
- 仕様だとすればまさに大博打である。X68000 を最初の16ビットの
-
- 仕様で FIX してしまえば、16ビット機としての X68000 のパフォー
-
- マンスを上げることにもなるだろう。しかし、その仕様が古くなる前に
-
- 次世代機を作り出さないと致命的なことになりかねない。
-
-
- おそらくは、この時点でハードウェアの陳腐化の速度と新型機開発の
-
- 遅れを見誤ったのではないかという気がしている。
-
-
- さて、長々書いておいてなんだが、この事実と32ビット化の遅れの
-
- 間にどれくらいの相関があるのかは、はっきりいって自信がない。ちゃ
-
- んと32ビット化しようとする気があったのなら、さほど大きな障害で
-
- はなかったからだ。しかし愛とお金があれば乗り切れる問題でも、どち
-
- らもなかったとしたら重大な障害となりえたかもしれない。
-
-
- いずれにしろ、多少いじったところで劇的な性能アップは望めないと
-
- なった場合の事例は、この X68000 自体がいちばん如実に示している。
-
- 私はX1シリーズがいかにあっさり捨てられていったかを忘れてはいな
-
- い。すべてのパソコンには長所もあれば短所もある。それを認めたうえ
-
- でいろいろもがいているのがこの業界の現状なのだが、Xのチームはあ
-
- まり泥臭いことは好まなかったのではないかと思われる。だからこそ
-
- X68000 が生まれ、だからこそ X68000 が捨てられていったのだと私は
-
- 分析している。
-
-
- メーカーについては、次期マシンを作ることだけが、免罪符となるは
-
- ずだったのだが、それも果たされぬまま終わった。当時はそうやってつ
-
- なぎのマシンを作っていても、その間にさらに次世代マシンに向けての
-
- 基礎研究を続けているものと信じて疑わなかったのだが、いま思うとど
-
- うもそのあたりも怪しい。
-
-
- ここでまとめよう。
-
-
- メーカーの意志自体は初期ハードウェアに込められたもの以外、たい
-
- した影響力を持っていない。そしてハードウェアそのものは必ずしも
-
- X68000 文化の必要条件ではなかったのはすでに述べたとおりである。
-
-
-
- ●我々は誰かの夢を見たいのではない
-
- ようやくユーザー自体の問題になってきたわけだが、ここでとりあえ
-
- ず興醒めな最終結論を挙げておこう。それは X68000 の文化ではなく
-
- Oh!X の文化であったと。
-
-
- Oh!X だってもう存在しないじゃないかという人もいるかもしれない
-
- が、形ではなく精神の問題である。シャープ内部では X68030 の頃から
-
- X68000 は死んだマシンだったが、Oh!X はいまも死んではいない。
-
-
- 先ほども挙げた PC-88VA や FM TOWNS と X68000 の最大の違いはな
-
- んだったのだろうか? CPU? それも決定的な要因ではありえない。
-
- VA でいろいろ頑張っていた人がいることも知っているし、無論 TOWNS
-
- で頑張っていた人も知っている(Oh!X 編集部の隣はずっと Oh!FM 編集
-
- 部だったのだから)。たとえ 98 でもどんな機種でも、かなりとんがっ
-
- た使い方を究めている人がいるのは事実であり、そういう人たちは我々
-
- の文化に近いところにいるのだが、問題はそういった人はユーザー数の
-
- ごくごく一部にすぎないのでまったく埋没してしまっているということ
-
- だ。X68000 では逆にユーザーの大半(勘違いで買った人の一部でも)
-
- でそういったものを受け入れる下地ができあがっていた。なぜか?
-
-
- 実際にはそんなのは当たり前の話で、X68000 以前から、Oh!X はきた
-
- るべき X68000 のための(ゼータマシンというべきか?)ユーザーを育
-
- てていたからだ。
-
-
- もちろん、X68000 を使っていたのは旧来の Oh!MZ からの読者ばかり
-
- ではないし、Oh!X など全然読まない人もいた。それでも Oh!X 読者が
-
- X68000 ユーザーの大半を占めていたというのは大きな意味を持つ。
-
- X68000 の発売代数自体は Oh!X の部数よりはるかに多いが、ちゃんと
-
- 使っているユーザーという意味で考えると X68000 ユーザーが Oh!X を
-
- 読むのではなくて、Oh!X 読者が X68000を買っているというのが、より
-
- 現実的な解釈だったかもしれない。
-
-
- 人が初めてパソコンに出会ったとき目にした雑誌、それが Oh!PC で
-
- あったか Oh!MZ/X であったか Oh!FM であったかは結構重要な問題であっ
-
- たように思われる。Oh!PC はすでにホビーを捨てていたし、Oh!FM も
-
- TOWNS の登場とともにファミリーパソコン向け雑誌を指向し始める。
-
- Oh!X は一部では生きた化石のような古くさい雑誌のようないわれ方を
-
- しているが、必ずしもそうではない。必要なことをやっていったらああ
-
- いう形になったという感じだ。
-
-
- 世間一般でいうようなユーザーフレンドリではなかったし、メーカー
-
- フレンドリでもないことにかけては他の追随はあるまい。無論、一部の
-
- ユーザーやメーカーからは嫌われてきたのだが、それも必要なことを必
-
- 要であったがゆえにやっていただけと思う。
-
-
- ユーザーを「鍛える」ということではそれなりに厳しかったし(8ビッ
-
- トの頃よりは緩いという説もある)、それなりに高い志の下に動いてい
-
- たのでソフトハウスにもやや厳しかったかもしれない。
-
-
- メーカーとしては X68000 の情報誌としての充実を望んでいたのだろ
-
- うか。「せっかくあちこちに頭下げてソフト作ってもろてるのに、ケチョ
-
- ンケチョンにしくさって……」と、いった不満もあったみたいだが、そ
-
- れも必要だからやっていたこと。さらにいえば、できの悪いソフトをあ
-
- まりけなしたことはなかったと思う。問題点は指摘するが、問題外のソ
-
- フトはそもそも取り上げられてなかったはずなのだ。やり方としては多
-
- 少厳しかったとは思う。よりよい人間関係のためには、違う方法論を取
-
- るべきだろうなあとは思うし、いまであれば多少は「やさしく」できる
-
- のかもしれない(参照「やさしさの精神病理」、中公新書)。んが、我
-
- 々が求めたのはなまぬるい関係ではなくて、もっとも強力な魂だったの
-
- で、別に当時のやり方が間違っていたとも思っていない。
-
-
- 「ダンプリストを打ち込ませる必要があるのか」というのはよく聞か
-
- れた質問だが、編集者は迷いなく是と答える。「ダンプも打ち込んだこ
-
- とのない奴のプログラムが信用できるか」とか「こういうのを誰も打ち
-
- 込まなくなったら業界も終わりだ」とか、かなり勝手な理由付けではあっ
-
- たが。
-
-
- 念のためにいっておくと、掲載されていたリストは打ち込むためにあっ
-
- たのではなくて読むためである。ダンプリストは「打ち込むこともでき
-
- る」ようにするためのものだった。そりゃ、ゲームやツール類では打ち
-
- 込まなければ話にならないものもあったが、特集記事などではアルゴリ
-
- ズムや考え方の解説が主であり、リストはあくまでも参考程度のものだ。
-
-
- とりあえず、それくらいのことでは動じないユーザーが主流を占めた
-
- ことにより、X68000 の文化は非常に力強いものになっていたといえる
-
- だろう。
-
-
- X68000 のひとつのスローガンでもある「なければ作る」というのが
-
- 基本になっていったのはいつからだろうか。X1の時代、祝氏の MML
-
- もそのようなものだったろう。しかし、X1の時代にはそういった流れ
-
- はまだ明確ではなかったと思うし、誰しも最初からそうだったわけでは
-
- ない。趣味でいろいろ作ってみるというのは昔からありだが、大きな流
-
- れになるようなことは考えられなかった。
-
-
- ひとつの契機として S-OS というものがあった。なんの略なのかは私
-
- も知らない。
-
-
- 非常に制限が多いなかでのプログラミング、そして互換性の確保、ソ
-
- ースリストの公開などについて啓蒙活動を続け、OS に関する根本的な
-
- 問題や開発ツール自体の開発などを通して我々は多くのものを手に入れ
-
- た。
-
-
- 制限が多いゆえに姑息な技も展開され、Z80 でガリガリやっていた頃
-
- の経験はのちに X68000 でも十分に役立つことになるし、ソース公開と
-
- ライセンスフリー、ソフトウェアの共有という素地を作り上げることに
-
- なる。そして、なにより、そのようなソフトウェアのひとつの理想郷の
-
- 下には多くの人材が集まってきたのだ。
-
-
- 「GNUってやたら不自由だからヤだなぁ」
-
-
- こういうことをいえるのは、我々くらいしかいないのではないかとも
-
- 思う。
-
-
- S-OS の世界は OS 自体からが「なければ作る」の連続であった。逆
-
- に、なにもできないような環境と思われていたところでさまざまなプロ
-
- グラムが発表され、「作ってみればなんでもできる」といったことを教
-
- えてもくれた。
-
-
- X68000 については、最初から「なければ作る」といった風潮があっ
-
- たわけでもないと思う。最初はメーカーなりソフトハウスなりに期待し
-
- ている。が、やがて、彼らが期待に応えてくれることはきわめて稀であ
-
- ることを学習してしまう。どちらかというと、期待を大きく裏切る場合
-
- のほうが多かったかもしれない。
-
-
- この素晴らしい「幸運」がなければ X68000 の姿はずいぶん違ったも
-
- のになってしまっていただろう。「必要は発明の母」とはよくいわれる
-
- が、要求が多ければ、それだけいろいろなものを作り甲斐がある。最初
-
- にふたを開けてみたとき、我々の前にはワープロとグラディウスしかな
-
- かったのだ。そして MS-DOS よりははるかに使いやすい OS、結構使え
-
- るテキストエディタ、そしてアセンブラとリンカが標準装備された。ま
-
- さに作れといわんばかりに。これはメーカーの英断だが、それをなさし
-
- めたものは S-OS をはじめとするアセンブラを恐れないユーザーたちの
-
- 姿だろう。
-
- 「なければ作る」
-
- いざとなったときにそういったことができるだけの能力を持っている
-
- のは悪いことではない。しかし、そもそもそういったことが必要になっ
-
- てくるといった時点ですでに歪んだ構図が見て取れる。では、我々は不
-
- 幸だったのか? いや、これ以上ないくらいに幸運だったのだ。
-
-
- たとえば、完全に気に入っているわけではないが、十分実用になり、
-
- それなりに手の込んだツールはすぐに手に入る……といった環境に置か
-
- れたとしよう。たいていの人は自ら同種のツールを開発する意欲すらな
-
- くしてしまう。曰く、そういった泥臭い作業から離れて、もっと高度な
-
- 作業に集中できる、それがパソコンユーザーの本来あるべき姿ではない
-
- かと。哲学的な議論になると、私にもそれを否定してよいのかどうか迷
-
- う部分もある。しかし基礎的なものから自分たちで作り出しているから
-
- こそのノウハウや、視点というものも出てきている。なにより、必要な
-
- ものを作るという作業から解放された人たちが実際に「高度な作業」で
-
- なにを生み出してきたかを考えると疑問点が残る。実際、そういったこ
-
- とで優秀な人材を失ってきているのだ。
-
-
- なぜ富める者が心貧しくなるのか私は知らない。彼らは自分がなにを
-
- 持っているのかを知らない。我々は自分の手の中にあるそれがなんなの
-
- か知っている。便利(?)で整った環境、あてがわれた環境というもの
-
- が向精神剤入りの砂糖水のように効いてくるらしい。だから私は
-
- Macintosh をユーザーの墓場と呼んだ。彼らは快適な棺桶の中で暮らし
-
- ている。
-
-
- 世間の Mac としてのあり方、「パソコン」としてのあり方はむしろ
-
- その方向を目指しているのかもしれない。しかし、「コンピュータ」、
-
- ないしは「マイコン」としてのあり方はそれとは相容れない部分もある。
-
- まして「パーソナルワークステーション」のあり方はそれとは違う。そ
-
- れは誰かほかの人の理想であり、我々のものではなかったのだと思う。
-
-
- ゲイツの夢もジョブズの夢もスカリーの夢もいまひとつしっくりこな
-
- い。我々がほしかったのは「とても素敵なビジネスマシン」などではな
-
- い(それもほしいが)。
-
-
-
- ●夢は続くか?
-
- 「夢」というのは X68000 にとってひとつの重要なキーワードだ。
-
- 「夢を超えた」といって登場したマシンはまさに夢を現実化したものだっ
-
- たが、それくらいで超えられるほど我々の夢はヤワではなかった。しか
-
- し、夢を見ることは無益ではないと教えてもくれたのだ。
-
-
- 夢と現実は同時にやってきた。
-
-
- 新しい X68000 の作り出す世界がひとつの夢なら、それまで使ってい
-
- たX1の世界が閉じられるのはひとつの現実だ。MZの撤退など、すで
-
- に現実の厳しさを思い知らされた。Oh!X 自体にしても、当然8ビット
-
- 機のサポートよりも X68000 を優先させねばならなかった。だからこそ、
-
- 「その次」ではもっと強いユーザーを作る、それが必要でもあった。
-
-
- 実際 X68000 が登場したときに始められたのは、5年後の次世代機へ
-
- の対応準備であった。当時の編集長は(だけでもないが)X68000 に必
-
- ずしも満足していなかったのだ。我々は次世代機を受け入れることので
-
- きる人材を育てることを目的としていた。Oh!X になってからの特集記
-
- 事を見れば、一般のパソコン業界の3年から5年先を行く話題で埋めら
-
- れているのがわかるだろう。一般のパソコン誌が最新の機器やせいぜい
-
- 1年先の OS の話題といった近視眼的な記事に終始しているのとはわけ
-
- が違う。当然である。目指しているものがまったく違ったのだから。
-
-
- *
-
-
- そして、すべてのものが花開くはずであった5年後の世界。その日の
-
- ためにいろいろなことをやった。32ビット機をベースにできれば、一
-
- 応かなり満足できる世界を展開できるはずだった(素直に作られたその
-
- 時点での当たり前の32ビット機でありさえすれば、だ)。X68000 ベ
-
- ースでは基礎実験しかできないことでも、次世代機のパワーを持ってす
-
- れば実用レベルとなるはずであった。実際、何年もかけて準備は行われ
-
- ていた。2Dも3Dもグラフィックはいける、音源ドライバも作れる、
-
- どんな CPU でも使いこなせる、ゲームも作れる。すぐには無理だろう
-
- が、半年から1年後にはシステムは十分に把握できる。ツールさえ揃え
-
- ば市販ソフトなんて別に必要ない。我々は自分の足で立つことができる。
-
-
- 5年目に出そうにないとわかったときに希代の悲観論者である副編集
-
- 長が立てた最悪の予測とそれをフォローするための計画をさらに上回る
-
- 遅さで事態は進行する。「ここまでならなんとかできる」という最終ラ
-
- インを超えて、さらに半年。Oh!X 最後の1年は、はっきりいって悲惨
-
- だった。
-
-
- 夏、デッドラインのさらにデッドラインと目されていた時期、内々で
-
- 伝えられた仕様をもとにポテンシャルが検討された。いくつかの点では
-
- よいものを持っていたものの、いくつかの点でもの足りなさを覚え、い
-
- くつかの点ではあきらかに勘違いしており、いくつかの点は失礼ながら
-
- 実現可能などとは信じられなかった。
-
-
- Oh!X 休刊が決定されたのは、次世代機開発中止がされる前のことで
-
- あった。
-
-
- *
-
-
- さて、このような話を長々としているのは、なにも懐古に浸るためで
-
- はない。Oh!X の文化はその休刊をもち、終息しようとしている。しか
-
- し、それですべてが終わるわけでもない。Oh!X が基本にしていたのは
-
- 「メーカーや Oh!X のサポートなしでも動ける」人材を育てることだっ
-
- たのだから。
-
-
- さらに、ひとつにはこのような電脳倶楽部がある。基本的なコンセプ
-
- トは違うのだが、Oh!X の流れを汲む存在であるのは確かだ。
-
-
- そして、なにより重要なのは、ハードウェアでもなければ、雑誌でも
-
- ない。あくまでもユーザーの魂の問題である。我々のコミュニケートす
-
- るための「場所」が失われたことは大きな損失だが、人がいなくなった
-
- わけではない。未完のまま終わった夢を妥協なく展開できる新しい場所
-
- を作るために、いろいろなものを眺めながらさまよっている。
-
-
- X68000 の文化がハードウェアに固有の問題であったとしたら、すで
-
- に未来はない。我々はこのままで終わるつもりはない。それにはハード
-
- ウェアを問わないかたちで展開できると信じ、それを実証していくこと
-
- が必要である。これは、はっきりいえば非常に難しい。各自あちこちへ
-
- 散って、いまは力をためている。チャンスがあれば「Oh!X のようなも
-
- の」を展開することもあるだろう。
-
-
- また出会いたいものだ、いつか還るべき場所で。
-
- ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
- (EOF)
-